森の書庫

読んだ本のレビューを残しています。

昭和鍼灸の歳月/上地 栄

 

☆☆☆☆

黎明期の鍼灸

鍼灸の一流派である「経絡治療」について調べている時に参考にした本です。

著者は鍼灸師の上地 栄(かみち・さかえ)氏(1920−98)です。
本書は、昭和初期に経絡治療を作り上げたグループの軌跡を描いていました。

上地氏は沖縄で生まれ中央大学法学部に進学しますが、1943年に学徒出陣のために中退することとなりました。
68年に年東洋鍼灸専門学校卒業し、日本の伝統鍼灸の学会に所属しながら臨床や教育にあたってきました。
同時に鍼灸史研究をライフワークとしており、古式の伝統を伝える治療家に教えを請い、古書を蒐集しながら精力的に研究を続けてきました。
本書はそうした長年の研究が結晶化したもので、昭和初期の日本伝統鍼灸の構築を目指す若手グループの活躍を描いたものです。
元々は小野文惠氏が発行していた機関紙に好評連載されていた(1972−80年)もので、今回の出版にあたり大幅な加筆修正が加えられていました。

日本の鍼灸は仏教と共に伝来した中国医学を土着させて、江戸時代まで漢方と共に国内医療を担ってきました。
しかし明治期に入ると西洋医学を中心とした医制の改革が行われ、衰退を余儀なくされました。
辛うじて漢方は生薬店、鍼灸視覚障害者の福祉政策として残ることができましたが、蓄積されてきた知恵と技術は散逸してしまいました。
時を経て昭和初期になると、日本鍼灸を再興しようという人たちがキラ星のごとく現れ、運命に導かれるようにして集います。
柳谷素霊、竹山晋一郎、井上恵理、駒井一雄、岡部素道、小野文惠らです。
学校を出ても治療ができない、いわゆる特効穴というものを使っても効果がない。
そんな所から出発した彼らのグループが、家伝の治療法や中国の古医書から導いた理論を臨床で試行錯誤し、経絡治療という体系にまとめ上げる姿が描かれていました。

「我々の先輩は、東洋2000年の文化遺産の中から古典的治療法を発掘してくれた。
それを随証療法として捉え、再構成し体系化して経絡治療として結実させた。
古典の中に現代の息吹を吹き込んで復活させたのである。」

本書では各人物にスポットを当て、伝統的な治療体系を模索する姿が描かれていました。
黎明期特有の明るさと荒っぽさの中で、柳谷素霊の見せる人情味あふれる思いに胸が熱くなり、また後の大家と呼ばれる若者たちの青春群像に重ね合わせて物語は展開していました。
特に終盤の柳谷の思い出が、年上の弟子による回想で語られるシーンは印象に残っています。

「試験会場に向かう途中で、向こうから見たような人がやってくる。
それが柳谷先生なんだ、驚いたね。
先生は私の肩を叩いて、『済ませてこいよ』と言うんだ。
親にでもあったような気がして涙が出たなあ。」

「治療についても、こんな風に言っていた。
臨機応変にやるんだ。
治る時は治るし、治らない時は治らない。
あんたには人生経験がある。
人よりその分は上なんだから。』
人間、年じゃないね。
だって先生は私よりも17も年下なんだから。」

かなりの分量でしたが読ませる文章で、読了まであっという間でした。
著者は膨大な文献を紐解き、貴重な生き証人を訪ね歩いて本書をまとめたことが伺え、深みのある内容となっていました。
経絡治療の実践者はもちろん、鍼灸学生が読んでも楽しめるものだと思います。

シルバーバーチ最後の啓示/トニーオーツセン

☆☆☆☆

古い霊が伝える真理

量子力学を調べている段階で興味を抱いた分野です。
量子力学、気功、霊などはどこか繋がりを感じさせます。

著者のトニーオーツセンは英国の心霊研究家で、スピリチュアリスト誌の編集に携わっています。
本書は霊媒が伝えた古代霊の講演を記録したものです。

表題のシルバーバーチとは「白樺」という意味の名前を持つ、古い霊的存在だと自称しています。
かつては人として地球に生き、インディアンとしての個性を宿しているようです。
モーリス・バーバネル氏(1902−81)というイギリス人の霊媒を通じて、交霊会で世界の真理を人々に語りかけてきました。
その交霊会は1920年から実に60年もの長きに及び、膨大な記録が残されています。
本書はその最晩年にあたるものを中心に記録していました。

内容は会での質疑応答や霊的な真理、参加者個人へのアドバイスなどが原型に近い形で収められていました。

人間性に問題のある患者は治りにくく、困惑しています」

「それは患者だけでなく、あなたの人間性にも問題があるためです。
治療とは相互作用です。
患者を救うことによって、あなたも救われているのです。
治らないのは、患者が霊的に治癒すべき段階に至っていないからです。
治療家の責任ではありません。
あなたは最善を尽くせばいいのです。」

霊媒との対話、というと荒唐無稽な印象を受けますが、語られる内容はシンプルですが深みがあって胸に響きました。
自由意志を尊重し、全体との調和を目指し、結果ではなく動機を重要視する。
一貫した思想が詩的な言葉で綴られていて、本を閉じた後も余韻となって残りました。
他のシリーズも読んでみたくなるほどに読み応えがありました。

鍼灸老舗の人々/上地 栄

 

☆☆☆☆

関西鍼灸の歴史


明治から昭和にかけての鍼灸の歴史に興味を持って読んだ本です。

著者は鍼灸師の上地 栄(かみち・さかえ)氏(1920−98)です。
本書は、明治期から昭和にかけて活躍した西日本地区の鍼灸師たちの実像をまとめたものです。

上地氏は沖縄で生まれ、中央大学法学部に進学しますが、1943年に学徒出陣のために中退することとなりました。
配属された戦地は故郷の沖縄で、激戦の中を辛うじて生き残り、戦後は左翼活動や新聞記者などを経験しました。
鍼灸への道は68年に年東洋鍼灸専門学校を卒業し、伝統鍼灸の学会に所属しながら臨床や教育にあたってきました。
同時に鍼灸史研究をライフワークとしており、古式の伝統を伝える治療家に教えを請い、古書を蒐集しながら精力的に研究を続けてきました。
それが結実して、85年には経絡治療の黎明期を描いた「昭和鍼灸の歳月」を上梓しました。
同書は主に関東鍼灸界を描いたものであったために、関西以西の鍼灸界の実情も記したいという思いから執筆されたものです。
業界誌「医道の日本」で1990から最晩年の98年まで連載され、加筆修正を加えた本書が2009年に出版されました。
書名の「老舗」とは、関西圏には古くから鍼灸が根付いていた老舗が多かったこと、に由来しています。

本書では次のような7名の老舗が登場し、彼らを軸にしながら当時の世相と鍼灸界を描いていました。

松元 四郎平(シロヘイ)(明治15ー大正15)
鹿児島で活躍した灸治療家。
虚弱体質て、長ずるに伴い徐々に視力を失いました。
治療家になってからは独学で研究を続け、微かに残る視力を振り絞り、虫眼鏡を使って膨大な古書を読み込みました。
日本で初めて「経穴学」の参考書を執筆し、後の治療家に大きな影響を及ぼしました。

藤井秀二(明治17ー昭和56年)
大阪の医師。
家業として小児鍼の伝統を受け継ぐ嫡男として誕生しながらも、医大に進学しました。
しかし医師免許を取得後は家業を引き継ぎ、小児鍼を実践しました。
医師としては鍼灸に科学の光を当て現代医学的鍼灸を啓蒙し、業界の発達に貢献しました。
疳の虫とは小児の過緊張に伴う自律神経の乱れともいえ、成人に行う筋緊張緩和を小児には皮膚への優しい刺激を通じて行なっているように思われました。
その小児鍼の技法は、経絡治療家の井上恵理の散鍼に影響を及ぼしています。

吉田多市(明治4ー昭和12年
大阪の鍼灸師で、視覚障害者。
上京して幕府の医家の生まれだった大久保適斎医師に師事して科学的鍼灸を学び、関西でその鍼法を普及させました。
同時に視覚障害者の救済と自立にも尽力し、鍼灸の教育、点字速記機の発明なども行った多才な人物でした。
「目が見えないことなどちっとも不便なことではない。
昼だろうと夜だろうと電灯もいらないのだから。」

長門谷貫之助(文久3ー大正7年)
大阪の医師、灸療家。
代々続いていた灸治療家の後継者として生まれました。
医学校を出ると家を継ぎ、家伝の灸治療を実践しました。
それは1cmほどの高さの逆円錐形のもぐさを、背中のツボに使う、という治療でした。
背中だけのツボですが、呼吸器、消化器、神経痛と幅広く適応しました。
現代も大阪で2家が「ながとや灸」の道統を伝えているようです。

山本慎吾(明治6ー昭和25年)
大阪の鍼灸師
鍼灸師会のトップを長年務め、専門校を設立するなど、教育や業界の発展に寄与してきました。
自己顕示がゆき過ぎて組織の分裂を招くなどトラブルも産みましたが、信念を曲げない生き方は支持され、関西地方で多くの人に愛されつつ78年の生涯を生きました。

他に辰井文隆、駒井一雄。

膨大な資料を蒐集し、紐解いたことが伺える大作です。
たびたび横道に逸れていましたが、著者の博覧強記ぶりには終始圧倒されました。
「諸兄よ」と語りかけるように綴られていることが印象的で、長い物語でしたが一気に読了しました。

人生はなんのためにあるのか/マイケル・ニュートン

 

☆☆☆☆

私たちがここにいる理由

著者は米国人のカウンセラー、マイケル・ニュートン氏です。
本書は出生前に遡る「退行催眠セラピー」で集めた知見をまとめたものです。
この本は知人に勧められて手にとって見ました。

著者のニュートン氏は米国で生まれ、行動療法のセラピストとしてカウンセリング治療を行なっていました。
懐疑的な性格だったので催眠療法や伝統的なセラピー技術を中心とし、退行催眠には抵抗を感じていました。
しかし原因不明の慢性痛を訴える男性患者が、第一次大戦時中の過去生を想起することで痛みが消失したことが転機となりました。
未知の現象だった「前世」というものには、何か大切なものがあるのかもしれないと興味を抱きました。
患者たちの何人かは過去生を思い出すことで心身を回復することを経験し、その過程で前世と現世の間、生まれる前の中間領域での経験も重要な示唆を与えてくれることに気づきました。
患者らは現世では感情の波に翻弄されていますが、魂として留まっている中間生を想起すると、高い視野で「現世に生まれる理由や目的」、「彼らを指導するガイドの存在」、「宇宙の真理」などに深い洞察を持っていました。
こうした現象におののきながらも、研究者らしい感性で情報を収集、分析し、数十年もの研究成果が結実したのがこの本です。

本書は29の症例を引用しながら、「私たちはなぜここにいるのか?」という究極の命題に挑んでいます。
まず「死」がスタート地点になります。
現世では死が終わりですが、魂にとって死は始まりになるからです。
死者は先に死んだ肉親らに迎えられ、懐かしい霊界へと帰還します。
霊界では自分のグループと合流を果たします。
彼らは魂としてのレベルが近く、感性の似た、最も気の合う親友以上の存在たち同士でグループを作っているのです。
懐かしい仲間と親密な時を過ごして、冒険の後の束の間の休息を満喫します。
その後で、肉体時代のふりかえりを先達であるガイドの助けを借りて行います。
もっと忍耐強くあるべきだった、無償の愛情を抱けなかった、などの反省を行い、成長の糧とします。
そして更なる成長と冒険の機会を得るべく、転生の準備に入ります。
ガイドに導かれて、適切な時代、国、両親、ボディを探し出し、転生に関連した過去と現在、未来の可能性を見せられます。
本人が納得すれば、記憶を忘却し、新たな生を1から過ごすことになります。

本書によれば魂にはレベルがあり、学び始めたばかりの若い魂から老成した魂など様々で、その成熟度に応じて様々な役割を負っているようでした。
成熟した魂は現世での学びの必要がなくなってあまり転生しなくなるのですが、その数少ない例外を描いた「第11章 進歩した魂」は白眉でした。
老成した魂が語る宇宙の真理などの深遠な内容や、肉体の欲望にとらわれて再起不能になってしまった霊魂の浄化のことなどが述べられていました。

「魂の発展に応じて、内から放たれる輝きが異なってきます。
一般的に若い魂(レベル1)は白く輝いていて、だんだん赤(レベル2)や黄色(レベル3)などの色彩を帯びてきます。
成長すると色彩の密度が増し、暗い黄色(レベル4)になると若い魂のガイドになることができます。
さらに成熟すると明るい青(レベル5)となり、ガイドとしても上級レベルになってきます。
さらに上になると青紫(レベル6)、紫へと収束して行きますが、転生する普通の魂では知覚できない至高の存在です。」

「ガイドは生涯にわたって被験者をサポートする存在で、その意図は私(著者)の思惑を超えて働くことがあります。
被験者の過去生の記憶が蘇る手助けをしてくれても、霊界の成り立ちや宇宙創造などスケールの大きな問には答えを妨げることがあるのです。」

「魂は成長のために、あえて人との関わりを避けて孤独を選ぶこともあります。
ある男性は真理を求める探求者として、多くの人生で放浪することを選びました。
生の合理的な意味を求めながら、途上で出会った人々に助けの手を差し伸べてきたのです。
その一方で定住の不自由さを学ぶために、農夫の嫁としての人生も経験していて驚きました。」

「魂は成長すると(レベル5)もはや肉体で過ごす必要がなくなります。
それでも敢えて転生し人や地球を助ける人もいて、彼らは「賢者」と呼ばれています。
賢者は都市から離れて住み、時に放浪し、人々に手を差し伸べています。
その上の存在(レベル6)は「いにしえの者たち」と呼ばれ、ガイドの統括や宇宙の創造に関与しています。」

本書はこのように退行催眠で前世や中間生の情報を集め、存在や宇宙について考察がなされていました。
退行催眠や前世については、飯田史彦氏やワイス博士の著書で知られつつありますが、それらとは異なるアプローチをしていて味わい深いものがありました。
科学的に証明の難しい内容で荒唐無稽なものかもしれませんが、真理の響きを直感させられるものでした。
もし人が本書のような存在であるのなら、真の意味での癒しや治癒というのは簡単ではないと痛感しました。
翻訳もノイズを感じさせない丁寧なもので、読み応えがありました。
ニュートン氏の著書は他にもう一冊邦訳版が出ているようなので、そちらも読んでみるつもりです。充実した読書体験となりました。

中国医学はいかにつくられたか/山田慶兒

 

☆☆☆☆

中国医学はいかにつくられたか

中国医学の歴史を調べていて手にとった本です。

著者は科学史を専門とする山田慶兒(けいじ)氏(1932−)です。
本書は中国医学の歴史を概観したものです。

科学と歴史に精通した専門家が語る中国医学
山田氏は京都大学理学部を卒業後、人文科学研究所に所属して科学史を研究しました。
文系と理系の双方をまたぐような分野を得意とし、中国思想、自然哲学などで多くの著書を著しています。
本書もそうした流れの一環にあるもので、独自の身体観を持つ中国伝統医学を、その黎明期から丁寧に記していました。

観察と分析で積み上げた医学体系
中国医学創始者は、伝説上の神に仮託しています。
しかし神々と三皇五帝と言われる伝説の存在の影には、無名の人々の長い試行錯誤の様子が伺えました。
「この薬草が効いた」「このツボが効いた」
経験主義による対症療法から、背後にある理論を探り、1つ1つ知見を積み重ねながら後世に引き継ぎました。

対症療法を脱却して理論を示した黄帝内経
こうした地道な努力が初めて形となったのが、現存する最古の医書である「黄帝内経」です。
原書は残っておらず、散逸、加筆が繰り返されたので、元の形は想像するしかありません。
中身も一貫性がなく、論述だったり、問答だったり、論の矛盾もあって読者を悩ますようなハードルの高さがあります。
しかし形のないものに、理論という芯を通そうとした画期的な出来事でした。

内経が示そうとした理論とは、自然や人体を観察して分類・抽象化して得たものです。
それは「世界は陰陽という対立する2つの要素が、相互に躍動することからなる」という哲学でした。
陰陽は集まったり分かれたりを繰り返し、木火土金水という「五行」や天沢火雷風水山地という「八卦」に変化し、世界を形作っていると考えました。
身体観も自然の観察から得た、気や血を風や河川に例えた「流体モデル」が採用されました。
体内には経絡や血脈という通路を気や血が循環していて、特定の治療点でこの流れに影響を及ぼすというものでした。
病気とはこうした循環が、温度など外部要因やストレスなど内部要因、生活習慣の乱れによって滞り、調和を失うことで生じると考えたのです。

黄帝内経の混沌に秩序を与えた難経
時代は下っても混沌に満ちた黄帝内経を整理・体系化する試みは続けられ、その労苦は「難経」という書で結実しました。
これは黄帝内経の解説書で、タイトルにある難とは「疑いを正すこと」です。
体のあちこちで調べていた脈診を手首に集約し、わかりにくい三焦を腎にある原気を各臓に巡らせる「働き」のことだと定義しました。
治療体系も、経穴に五行理論を応用して「五兪穴」として分類しました。
これは湧き水が川になって湖に注ぐ経過をなぞらえたもので、湧きでる「井」、集まって滞る「栄」、注いでいく「兪」、流れ行く「経」、流れ込む「合」の5つでツボを分類しています。
これは経絡内にある1つのツボが別の臓器にも影響を及ぼすというもので、治療での立体的な運用が可能になりました。

初めての臨床医学書となった傷寒論
中医学の体系化が進んで、臨床医学書として完成を見たのが「傷寒雑病論」です。
症状と診断、処方が密接に結び付けられ、それらを一貫した理論が貫いている完成度の高いものでした。
診断が即処方につながるとして、日本漢方では「方証相対」と呼んで現在も利用されています。
傷寒雑病論の理論は、冷たい空気などの外部からの影響で体にどのような症状が現れるかを6つの段階で整理したものです。
この6つを六経位と呼び、16世紀に提示される「八綱」という分類法を経て「弁証論治」へと飛躍する基礎となりました。

本書は古代から連綿と続いた人々の努力が、1つの完成をみた唐代までを記して筆を置いていました。
中医学はこの後も内的な要因を研究した陳無択(ちんむたく)の功績や金元四大医家、李朱医学、日本漢方などを絡めながらダイナミックに展開していきますが、それらは割愛されていました。
しかし失われた文献の隙間を博学な知識で埋めながら丁寧に説明されていて、読み応えがありました。

鍼灸院治療マニュアル/浅野周

☆☆☆☆

中国鍼灸のテキスト

著者の浅野周(あさのしゅう)氏は中国系の技法を習得した鍼灸師です。
本書は著者の実践する鍼灸術を体系化したマニュアルです。

著者は87年に鍼灸師免許を取得後、中国に留学して臨床を学び、帰国後もその技術を磨いてきました。
そして臨床の傍ら、中国の医学文献を翻訳出版するなど、精力的に執筆を続けています。

本書もその一端で、浅野氏の治療院「北京堂鍼灸」で、弟子に行なっている指導内容を体系化したものです。
木下晴都氏の「鍼灸学原論」と朱漢章氏の「小鍼刀療法」をベースにし、中国留学の経験と臨床での知見を加えたものがまとめられていました。
著者は、「筋肉の収縮・痙攣が内部の神経・血管・内臓を圧迫して様々な障害を引き起こすこと」が病因としています。
緊張している筋肉を鍼で直接刺激することで、筋緊張を緩和させ治癒に導くことを目的としていました。
黄帝内経の霊枢、鍼灸甲乙経、鍼灸大成などの古典の内容は熟知した上で、五行理論は除外し、経絡論は神経説で説明できる部分のみを援用するなど、自在に扱っているようでした。
鍼で狙うのは筋肉の緊張部位なので深刺となることが多く、正確に鍼を扱う技術が必要になります。
目標の筋に到達したなら、そこで20分以上置鍼すると筋は収縮と弛緩を繰り返して血流を回復し、治癒へと向かうという流れです。
狙う場所は「病的部位(=地部)」の他に、神経出発部で脊椎周辺部などの「上流部分(=天部)」、「神経の中途で障害の起きやすい部位(=人部)」の3箇所で、「天地人治療」と称して重視していました。

各論としては36疾患の鑑別法、治療法がまとめられていました。
一般的な疼痛疾患である、頭痛、肩痛、腰痛、膝痛などに加え、クローン病や生理痛などの内臓疾患、口内炎などウツ病など様々な疾患に及んでいました。
各疾患については著者の試行錯誤や思考の過程を含めて丁寧に書いていて、例えば、大腿後面の「ハムストリング痛」などは興味深いものでした。
大学運動選手のケースで、当初は局部治療で簡単に治ると高を括っていたところ、痛みが取れずに著者は焦りました。
そこで支配神経である坐骨神経の異常を考え、上流(=天部)である梨状筋を治療しましたがうまく行きません。
頭を抱えますが、坐骨神経の通過先であるフクラハギに痛みがなかったことから、坐骨神経には分岐があり、中間部分(=人部)のどこか、本ケースでは坐骨結節部で圧迫されていることを突き止めました。
果たして、そこに針をするとハムストリングの痛みは見事に取れました。

後半では開業の方法論や中国留学時の思い出が、エッセイの形でまとめられていました。

「開業では、治せない患者は引き受けないことが重要になる。
その上でぎっくり腰治療などの得意な疾患を磨き、100%の治癒率に近づけることを目指す。」

「中国鍼灸毛沢東以降に成立したもので、60年代の日本鍼灸が基礎になっている。
80年代からは比較実験を元にマニュアル化が進み、弁証論治は使われなくなった。
90年からは筋肉を狙った小針刀の理論が普及して、解剖に力点が置かれている。」

本治療法の目的は「筋緊張を取ること」で、そのための手段は「緊張している筋を針で正確に貫くこと」というシンプルなものです。
もっとも、そのためには緊張部位を診断する技術、筋を正確に貫く技術の習得が必須で、簡単ではありません。
しかし技術の方向性は明確で、確かな世界観を提示してくれています。
また本書の内容は、臨床の知見や整形的な知識が丁寧に整理されていて、著者とは異なる技法の治療家にも得るところは大きいと思います。
様々な情報が凝縮されていて、読み応えがある好著でした。

現代日本の医療と食/伊藤慶二

☆☆☆☆

根本から見直す養生

著者は医師の伊藤慶二氏(昭和4年ー)です。
九州大学を卒業し、産婦人科医としてキャリアを重ねました。
自然療法にも造詣が深く、マクロビオティックを用いた食養生も指導してきました。
現在は山梨県の奥深くに居を構え、悠々自適の生活を送っているようです。

本書は食を中心とした養生についてまとめたもので、2014年に出版されました。
内容は、まず様々な人工的な物質で汚染された現代社会を俯瞰していました。
資本主義が極大化して、様々な欲望を肥大化させ、美食を大食し、不必要なモノを追い求め、そのために長時間労働をして金を稼ぐ。
欲望に満たすことに最適化された社会は自然を汚染し、やがてそれらを取り入れテイル人体にも汚染が広がってきました。
大量生産のために大量の農薬を用いることで、野菜の含んでいる栄養分はここ数十年で著しく減少しています。
汚染された土壌は昆虫や動物の生態にも悪影響を及ぼし、生殖できない個体が増えてきました。
人にはやや遅れて影響し、かつては稀だった不妊患者が近年は激増しています。
同様に戦前はほとんど見られなかったアトピークローン病などの免疫疾患も増え続けています。
癌患者も新しい抗がん剤が次々と開発されているにもかかわらず増え続け、膨大な医療費は国家予算を圧迫し続けています。

著者はそうした状況を憂い、健康に生を全うするための養生法を提示していました。
まずは過剰な欲を慎むこと。
怒りや妬みなどネガティブな感情は抱かないこと。
汚染されていない食事を少量食べること。
適度な運動を続けること。
などです。
とてもシンプルなものですが、この当たり前のことを実践するのが難しくなっていることを感じました。
薄い本ですが、大切なことがわかりやすくまとめられていて感じ入りました。

病気にならない暮らし事典

☆☆☆☆

自然派医師が実践する養生法

養生法について調べていて手にとった本です。

著者の本間真二郎氏は栃木県で開業する小児科医です。

本書は自然に近い医療を実践する著者の養生法を、一般向けにまとめたものです。

 

本間氏は69年に札幌市で生まれ、札幌医大を卒業すると小児科医としてキャリアを積みました。

臨床医として道内の病院で腕を磨き、研究も米国の国立研究所でウイルスとワクチン分野で実績をあげました。

帰国後は新生児集中治療室の室長に就任するなど、絶頂期を迎えます。

しかし911のテロ、漫然と標準治療をしても治らない現実を直視して、人生の再考を迫られることとなりました。

その結果、大学病院でのキャリアを捨てて栃木県に移住し、自宅と一体となった小さなクリニックを開院しました。

日々の診療をこなし、自宅前の農園で畑を耕し、食や生活を自ら実践しながら掴んだ成果をまとめ上げたものが本書です。

 

本書は著者が長年の臨床と研究の中で熟成させた養生法が記されていました。

総論、食、生活、環境、医療の5つの章に分けて、「健康に暮らしていくことの本質」について考察されていました。

周囲の環境との調和、安直な症状緩和でなく長期的な視野で眺めることなどが重視されていました。

そして最終的に目指す地平が「終わりに」で記されていました。

「自分のためだけでなく、あらゆる人や生物、ものを思いやる暮らし方 誰もが希望に満ち溢れた未来」 本書はこのように健康な生活を送る上で大切なことが広く網羅されていました。

食生活や運動など日々の養生から病院との関わり方、心の持ち方、量子力学から導いた宇宙的な視野など深みのある考察がなされていました。

中にはメリットとデメリットが曖昧で、結論が簡単に出ない事柄も含まれています。 しかし著者は諦めずに自分で調べ、考えることを推奨していました。

「患者さんやその家族こそが、病気に向き合い、勉強し、自分で決断を下すことが必要になるのです。」

専門分野にも踏み込んでいましたが、噛んで含めるようなわかりやすい解説が添えられているので、一気に読み進めることができます。

健康や養生についてオールインワンで学べる好著だと思います。

死後の世界を知ると人生は深く癒される/マイケル・ニュートン

☆☆☆☆

私たちが生きる意味を探る

著者は米国人のカウンセラー、マイケル・ニュートン氏(−2016)です。
本書は前作「死後の世界が教える」に引き続き、「退行催眠セラピー」で集めた知見をまとめたものです。

著者のニュートン氏は米国で生まれ、行動療法のセラピストとしてカウンセリング治療を行なっていました。
懐疑的な性格だったので催眠療法や伝統的なセラピー技術を中心に行い、退行催眠には抵抗を感じていました。
しかし原因不明の慢性痛を訴える男性患者が、第一次大戦中の過去生を想起することで痛みが消失したことが転機となりました。
未知の現象だった「前世」には何か大切な意味があるのかもしれないと興味を抱き、94年に前著「死後の世界が教える」を著したところ大きな反響を得ました。
著者は被験者を「中間生」と呼ばれる記憶に戻すと、明晰な思考で高度な内容を語ることに注目しました。
そこで被験者の記憶を中間生まで遡らせ、「宇宙の真理」や「私たちが生きる理由」について尋ねて知見を重ね、2000年に本書の執筆に至りました。

前著では主に若い魂に対する「治療」が中心でしたが、本書では「自分の生の目的」を求める進化した魂へのセラピーが増えていました。
著者は中間生に誘導してクライアントが明晰な思考と記憶を取り戻させると、「クライアントの生のテーマ」や「宇宙に働くシステム」に関する情報を集めました。
ニュートン氏によれば、源泉(=ワンネス)は体験を願って分割した自己を創造し、様々な経験を携えて回帰することを求めています。
源泉から生まれた魂は、専門の世話係に保護されてまずは霊界(=中間生)で学びます。
一通り学び終えると、肉体を持ったリアルな世界に転生します。
多様性を体験しながら、元々は同じ自分である他者への慈しみや物質への執着を克服すると、次の段階へと移行していきます。
適性に応じて、専門職やシステムの管理を担うようになるのです。
中級レベルの魂が担う、夢見の達人、迷える魂のレスキュー、動物の魂の世話係、若い魂の監督者、ヒーラー。
上級になると倫理観の研究者、次元間旅行者、生命創造、惑星の運営、時間の管理者などの職業についても述べられていました。

「ヒーリングの秘訣は意識的な自己を捨て去ることです。
 そうすると患者のエネルギーの滞りを通すことができます。
 私は患者のエネルギーと溶け合うことで、滞りを解消することを目指しています。
 これには技術に加えて愛も必要なのです。」

「源泉は巨大で、力強く、柔軟で・・・音があります。
 音が世界を作り、構造を支え、動かしているのです。
 母が我が子に聞かせる子守唄のようなやさしい音が・・。」

成長に応じて魂の色彩が変化することに言及しているのも、本書の特徴になります。
若い魂は白色で生まれ、成長に伴って色彩の密度が濃くなり、赤、黄、緑、青、紫へと変化するようです。
この本質を示した中心色に加えて、その周囲を囲む光輪色というものもあります。
光輪色は人生に臨む姿勢を反映したもので、次のような意味を持っています。
白(柔軟性)、銀(洗練)、赤(情熱)、オレンジ(衝動)、黄(勇気)、緑(癒し)、茶(忍耐)、青(許し)、紫(英知)。
ここにない「黒」は損傷した魂を示しているとしていました。

本書はこのように前著をベースにしながら、より深遠な内容に及んでいて引き込まれました。
簡単な言葉で語られつつも理解の難しいもので、時間をかけて消化していきたいと思います。
前世について語ったものはワイス博士や飯田史彦氏のものもありますが、本書はそうした内容を踏まえて深い考察に及んでいて読み応えがありました。
最後のページは次のような詩的な言葉で結ばれていて、印象に残りました。

「地球に来るのは、私たちにとっては外国を訪れるようなものです。
 故郷は受容、安らぎ、愛で満ちていますが、地球ではこうしたものは期待できないからです。
 私たちは愛や喜びを探求する中で、不寛容や怒り、悲しみに対処しなければなりません。
 生き延びるために、人を見下したり、卑屈になったりして自分を見失うこともあります。
 しかし不完全な世界で生きることで、初めて完全性を真に理解できるのです。
 だからこそ地球という過酷な環境で自分を磨くことが、私たちの試練になるのです。」

医学生からの診断推論/山中克郎

☆☆☆☆

診断のエッセンスが凝縮

徒手検査と問診によって病気を正確に把握することを目標としているので、手に取りました。

研修医向けのテキスト
著者は山中克郎医師で、総合診療を専門としています。
本書は、問診と身体診察による診断推論について医学生や研修医向けに解説していました。

研究から臨床に転向した医師の労作
著者は名古屋大学卒業後は血液内科を専攻し、研究者として米国にも留学しました。
帰国後は臨床医として、専門分化の反省から生まれた「総合診療科」を専門にキャリアを積みました。
現在は諏訪中央病院で臨床、指導と忙しい日々を過ごしています。

本書は著者の長年の総合診療医としての知見が結晶化したものです。
第1章「心に火をつけろ」では診療に臨む心構えが記されていました。
一生学び続けること、周囲の人に感謝すること、診療時以外も誠実に振る舞うことなど、医師としての心構えがまとめられていました。
終盤では「人の行く裏に道あり花の山」という千利休の句を引用して、どんな経験も無駄にはならないので、自分だけの道を進んで生涯の宝を見出して欲しいとしていました。

第2章からは実際の推論に役立つ知恵が各論としてまとめられていました。
「診断は夜空で星座を探すようなもの」として、様々な情報を整理して診断へと到達する流れが示されていました。
具体的な診断は循環、呼吸、腹部、神経と4項目に絞られ、根本的な智慧が得られるように工夫が感じられるものでした。
合間には著者の経験に基づくアドバイスも添えられています。
「呼吸数を計りづらい時は、患者の呼吸に合わせると早いか遅いか直感的にわかる」
「お年寄りの長い話も、息継ぎで切れる瞬間を狙うと問診に入りやすい。」

著者による特典映像も
また特典として本書を補完する内容の動画が次の10本製作されていました。
患者との対面〜はじめの1分
循環器系の診察 ①頸静脈波
循環器系の診察 ②心音
呼吸器系の診察 ①胸部診察と聴診
呼吸器系の診察 ②COPDの診察
頭頸部の診察
腹部診察
神経診察 ①脳神経
神経診察 ②小脳機能
神経診察 ③歩行観察
これらは出版社のサイトでパスワードを入力することで閲覧できました。

薄い本の中に濃厚なエッセンスが凝縮
本書ではこのように臨床の哲学、診断のコツなどが丁寧にまとめられていました。
濃厚な情報が凝縮され、他書からの引用も多く、曖昧になりやすい分野などが重点的にピックアップされていました。
特典映像もわかりやすいもので、温かな著者の人柄を彷彿とさせるようなものでした。
全体的に自身の知見を伝えたいという熱意を感じさせるもので、ページ数は多くないものの読了まで時間がかかりました。
医学生向けですが著者の長年の経験が結晶化されたもので、読者を選ばない普遍的な内容だと思いました。
熱い思いが伝わるような好著で、オススメです。