森の書庫

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無病法/ルイジ・コロナロ

少食健康法を説く古典

著者はルネサンス期のイタリア貴族のルイジ・コルナロ氏。
同氏は不摂生で体調を崩し、医師の勧めもあって少食を実行することで健康を取り戻したばかりか、驚異的な健康状態のまま102歳という長寿を全うしました。
本書は氏が残した手記を翻訳し、現代医学に基づいた解説を加えたものです。
コルナロ氏の一回の食事内容は170gほどの食べ物と400ccほどの飲み物(ワイン)で、これを日に2回とっていました。
日本で言うなら茶碗1杯程度の食事とコーヒ一杯程度になります。
しかし彼は病気知らずのまま元気に過ごし、心が穏やかで忍耐強くなり、運命も好転して幸せな晩年をすごしました。

少食をすることでこのような健康と幸運に繋がるいうことは日本でも実践者が伝えています。
例えば江戸時代の水野南北から、現代でも甲田光雄氏、森美智代氏、石原結實氏などが食を慎むことで健康に恵まれ精力的に毎日を生きることが出来ると説いています。
そして少食の効果が彼らの個人的な経験に留まらない可能性があることを、アメリカのマクガバンレポートや中国のチャイナスタディによる大規模調査でも告げていました。
しかし少食で病気知らずでいられるという事実は医療、食品、保険などの経済界の意向に反するせいかほとんど報道されることなく今も世には飽食が蔓延しています。

私自身も偶然から1日1食の少食生活を実践するようになり、本書に述べられているような効果があることを感じています。
具体的には病気知らずで疲れにくくなり、夕方に食べるその日初めての食事に感謝しながら穏やかな気持ちで過ごし、体重も10代の頃に戻りました。
それでも時々付き合いなどで誘惑に負けるとペースを崩してしまうことがあり、こうした本は怠惰な自身を励ます意味でも助かっています。
少食の効果を分かりやすく説いてくれる本書は、たとえそれを実践することがなくても有用な本だと思います。

総合診療医が教える よくある気になるその症状 レッドフラッグサインを見逃すな! /岸田 直樹

調剤薬局での症候診断ガイド

著者は総合診療、感染症を専門とする岸田直樹氏です。
本書は調剤薬局の服薬指導を想定した症候診断マニュアルです。

著者は北海道で生まれ、函館ラサールから東工大に進学します。
のちに旭川医大を再受験し、卒業後は内科・感染症を専門にキャリアを積みました。
現在は総合診療科へウィングを広げて活躍していて、本書もその一端として執筆されました。

本書は、薬剤師が患者さんに対して行う症候診断のために編集されたテキストです。
薬剤師を対象に「薬局でよく尋ねられる症状」と「薬局で尋ねられて困る症状」についてアンケートをとり、上位となった症状を取り上げていました。
具体的には、風邪、痛み(頭痛・膝痛・腰痛)、消化器症状、めまい、倦怠感です。
5項目というと少ない印象ですが、それぞれ丁寧にまとめられて奥行きを感じさせるものでした。
特に感染症は著者の専門なので、わかりやすく説明されていました。

巻末には付録として、OTC薬の成分一覧が掲載されていました。
風邪薬、解熱鎮痛薬、鎮咳去痰薬、胃腸薬、止瀉薬を、指定第二類と第二類の医薬品からセレクトしていました。
例えば風邪薬だと「エスタックイブ」はNSAIDsとしてイブプロフェン、抗アレルギー成分としてクロルフェニラミンマレイン酸塩、鎮咳のコデインエフェドリンなどが含まれていることが一覧となっていました。
漢方成分も麻黄・甘草・柴胡などリスクのある生薬を含めて一目でわかる様に整理されていました。

全体の構成は講義形式をとっていました。
各章の目的が最初に示され、初めに前回の復習が添えられ、読者の疑問に答えるように展開するというものです。
まるで対話のように進むので、飽きずに読み進めることができました。
文章も基本を大切にしながらも応用の効く知識が、豊富な症例と共に披露されていました。
薬剤師だけでなく、広く医療関係者にとって役に立つ内容だと思います。

フィジカルアセスメントがみえる /医療情報科学研究所

五感を使って診断する

 

本書は「フィジカルアセスメント(五感を使った診察技術)」を看護師向けに解説したものです。
好評を博している「看護師のための『見える』シリーズ」の三冊目にあたります。
全カラーページで、写真やイラストがふんだんに使われており、解剖生理を中心に診断に至る技術が説明されていました。
執筆陣も大学、病院の、熟練の看護師、医師、理学療法士らが協力しており、充実したものとなっていました。

内容は大きく分けて次のようなものです。
 総論:視診、問診、触診の基本と体温・呼吸などのバイタルサイン
 各論:頭頚部、呼吸器、循環器、腹部、筋骨格など、各部位ごとの診断

写真が豊富な上に、イラストはデフォルメされていて実物よりわかりやすく、透視図と合わせて内臓の位置関係が直感的に理解できます。
知識も解剖、生理、病理などが関連づけて説明され、検査や診断の目的なども記されているので効率的に学べます。
フィジカルアセスメントは総合診療にもつながる重要な知見で、これまで医師向けの書籍も手にとってきました。
本書はそれらと比較しても遜色なく、丁寧でわかりやすいものだと思いました。

総合診療徹底攻略 100のtips 根本 隆章

必要十分な情報が詰まった総合診療のテキスト

 

著者は医師の根本隆章氏です。
本書は総合診療に関連する様々な症例を解説したものです。

根本氏は大学卒業後は総合診療医としてキャリアを重ね、現在は感染制御科で臨床に立ちつつ、後進の指導にも力を注いでいます。
本書は著者が実際に経験した症例から総合診療に関連した100のものをピックアップしたものです。
章は、呼吸器、循環器、消化器、神経、代謝・内分泌、血液、腎・泌尿器、膠原病感染症、精神科、薬剤性疾患などで区分されています。
研修医との対話から既往を確認し、診断をつけるまでの流れが1つのトピックにつき3−4ページ程度で収められていました。
掲載症例の中では、次のようなものが印象に残りました。

・高熱の大学生が、生肉によるカンピロバクター腸炎だったこと。
・夜間咳嗽(がいそう)が、逆流性食道炎によるものだったこと。
・拡張期高血圧が副腎のアルドステロン(鉱質ステロイド)症由来と見抜いたこと。
・時々起こる下腹部痛が、尿管膜遺残だったこと。
・歩行障害が、銅欠乏症や、頭痛薬による小脳症状だと見抜いたこと。
・微熱と顎の異常が、巨細胞性動脈炎だと見抜いたこと。
・繰り返す伝染性単核症が、HIVによるものだと見抜いたこと。
・多発性塞栓症を人工血管の感染症が原因だと見抜いたこと。

イラストなどは少ないもののCT画像などが掲載され、参考文献も明示されるなど、必要十分な情報がコンパクトにまとまっていると感じました。
また薬の副作用について造詣が深い点も印象的で、わずかなヒントから鮮やかに診断する様子はミステリー小説のようで引き込まれました。
総合診療について概観できる好著で、オススメです。

病気を治せない医者 現代医学の正体に迫る /岡部 哲郎

現代医学の現状と中医学のススメ

著者の岡部哲郎氏(1948ー)は東西両医学に精通した医師で、現在は開業して自由診療で治療を行なっています。

本書は著者の経験を踏まえて、真の医学のありようを提案したものです。

 

著者は高校時代に難病を患ったことから、治療法を研究開発するために東大の医学部に入りました。

卒業後は内科系の研究室に所属し、癌治療の研究に没頭しました。

免疫系を賦活させて白血球を産出するホルモン様物質を突き止めたり、癌細胞と結合する抗体を作り出すなど、次々と実績を上げていきました。

漢方との出会いはこの頃で、抗癌作用を持つ物質を漢方薬に求めて、台湾の中医師の研究所を訪れます。

しかし目の前で様々な難病が改善していく様に驚愕し、弟子入りして熟練の技を学びました。 その後は東大病院の総合内科にある漢方外来で治療にあたり、2014年からは銀座で開業して今に至ります(一方で漢方外来は閉鎖となり、技術は継承されなかったようです)。

 

本書は東西両医学を深く研究してきた著者が、両医学の長所と短所を踏まえた上で、最良の選択を考察したものです。

前半では、西洋医学への批判を中心とした論が展開します。 無駄な検査、安易な手術、高血圧や高脂血症などの健康な人に薬を処方する愚などを指摘していました。

特に著者は研究に従事していたことから、データを恣意的に用いてミスリードする統計処理の欺瞞について丁寧に解説していて説得力がありました。

後半は著者が実践する中国伝統医学を用いた治療が紹介されていました。

東洋医学は西洋医学とは異なる観点から人体を眺めるので難病にも対処できる可能性があり、治療の幅が広がります。

メニエール病潰瘍性大腸炎膠原病のシェーグレン症候群、緑内障肺気腫などの症例が紹介されていました。

また東洋医学といっても、中医学と日本漢方の違いがあることも言及していました。

著者によれば、日本漢方の「生薬や方剤の知識が不十分な状態で漢方薬が処方されていること」、「傷寒論を元にした大雑把な診断体系しかない点」などを問題視していました。

終章では食養生と地続きにある漢方の思想に触れながら、西洋、東洋の両医学を統合した医療の可能性に言及して筆を置いていました。
内容が専門分野にも及んでいましたが、読み応えのある好著でした。

中医臨床のための中薬学 /神戸中医学研究会

生薬を入り口にして発展的に中医学を理解する

著者は長年、中医学を研究している「神戸中医学研究会」のグループです。
本書は中国伝統医学を、「生薬」という観点からまとめたものです。

「神戸中医学研究会」は、中医学がほとんど知られていなかった1970年代から40年以上もわたって活動してきた団体です。
貴重な原書を取り寄せ、手分けして翻訳書を書き下ろし、古典解説書を執筆するなど日本の中医学研究をリードしてきました。
執筆メンバーは日本人医師、中国人医師、薬剤師らが名を連ねていました。

本書は「中医薬」を総合的に学べるように配慮されたガイド本です。
総論では中薬の歴史、治療効果と関わる薬性理論、薬の形態や製造過程などがまとめられていました。
各論では「生薬」を解表、清熱、行気、理熱などの効能に基づいて分類して掲載していました。
各生薬については、イラスト、気味、効能などについて解説されていました。
方剤について項目を設けられていないのですが、生薬から方剤へと発展的に理解できるように工夫されていました。
たとえば「桂枝」の「発汗解肌」の性質から派生して、発汗がある際は衛営調節の芍薬を加えた「桂枝湯」を、発汗がない場合は発汗を促す麻黄を加えた「麻黄湯」を使う、などとしていました。

本書はこのように「方剤」を構成する「生薬」を入り口にして、中薬学を理解できるように工夫されていました。
日中の違いなどについても詳細に記載されていて、長年のノウハウや知見が結実していることが伺えました。
中医学を深く学べる好著だと思います。

極論で語る総合診療 (極論で語る・シリーズ) /桑間 雄一郎

膨大な知識と経験から導き出されたシンプルな「極論」

著者は米国の医大に勤務する桑間雄一郎医師です。
本書は、著者が専門とする総合診療についてまとめたものです。

著者は東京大学を卒業後、国内で外科のキャリアを積んだ後に渡米しました。
米国では内科レジデントとして働き、現在はマウントサイナイ・アイカーン医大で准教授として臨床と教育を担っています。

本書は著者の米国での総合診療医としての経験から、「最も頻繁に遭遇した病気を厳選」したものです。
総合診療科とは専門分化しすぎた医療の反省から生まれたもので、昔の医師のように「全科に通じた多角的な診断力を磨く」ことを目指した試みです。
各章は、消化器、整形、神経、循環器、内分泌、皮膚などで区分され、「極論」というシンプルな形で広い分野の疾患が取り上げられていました。
意図的に断定的な表現が使われていましたが、豊富な臨床経験と大量の論文を読み込んだ知見が反映されていることが伺え、奥行きを感じさせる内容でした。

本文の合間にはコラムとして著者の経験談や関連知識がエッセイとして挿入されているので、飽きずに読み進めることができます。
わかりやすく工夫された好著だと思います。

昭和鍼灸の歳月/上地 栄

 

☆☆☆☆

黎明期の鍼灸

鍼灸の一流派である「経絡治療」について調べている時に参考にした本です。

著者は鍼灸師の上地 栄(かみち・さかえ)氏(1920−98)です。
本書は、昭和初期に経絡治療を作り上げたグループの軌跡を描いていました。

上地氏は沖縄で生まれ中央大学法学部に進学しますが、1943年に学徒出陣のために中退することとなりました。
68年に年東洋鍼灸専門学校卒業し、日本の伝統鍼灸の学会に所属しながら臨床や教育にあたってきました。
同時に鍼灸史研究をライフワークとしており、古式の伝統を伝える治療家に教えを請い、古書を蒐集しながら精力的に研究を続けてきました。
本書はそうした長年の研究が結晶化したもので、昭和初期の日本伝統鍼灸の構築を目指す若手グループの活躍を描いたものです。
元々は小野文惠氏が発行していた機関紙に好評連載されていた(1972−80年)もので、今回の出版にあたり大幅な加筆修正が加えられていました。

日本の鍼灸は仏教と共に伝来した中国医学を土着させて、江戸時代まで漢方と共に国内医療を担ってきました。
しかし明治期に入ると西洋医学を中心とした医制の改革が行われ、衰退を余儀なくされました。
辛うじて漢方は生薬店、鍼灸視覚障害者の福祉政策として残ることができましたが、蓄積されてきた知恵と技術は散逸してしまいました。
時を経て昭和初期になると、日本鍼灸を再興しようという人たちがキラ星のごとく現れ、運命に導かれるようにして集います。
柳谷素霊、竹山晋一郎、井上恵理、駒井一雄、岡部素道、小野文惠らです。
学校を出ても治療ができない、いわゆる特効穴というものを使っても効果がない。
そんな所から出発した彼らのグループが、家伝の治療法や中国の古医書から導いた理論を臨床で試行錯誤し、経絡治療という体系にまとめ上げる姿が描かれていました。

「我々の先輩は、東洋2000年の文化遺産の中から古典的治療法を発掘してくれた。
それを随証療法として捉え、再構成し体系化して経絡治療として結実させた。
古典の中に現代の息吹を吹き込んで復活させたのである。」

本書では各人物にスポットを当て、伝統的な治療体系を模索する姿が描かれていました。
黎明期特有の明るさと荒っぽさの中で、柳谷素霊の見せる人情味あふれる思いに胸が熱くなり、また後の大家と呼ばれる若者たちの青春群像に重ね合わせて物語は展開していました。
特に終盤の柳谷の思い出が、年上の弟子による回想で語られるシーンは印象に残っています。

「試験会場に向かう途中で、向こうから見たような人がやってくる。
それが柳谷先生なんだ、驚いたね。
先生は私の肩を叩いて、『済ませてこいよ』と言うんだ。
親にでもあったような気がして涙が出たなあ。」

「治療についても、こんな風に言っていた。
臨機応変にやるんだ。
治る時は治るし、治らない時は治らない。
あんたには人生経験がある。
人よりその分は上なんだから。』
人間、年じゃないね。
だって先生は私よりも17も年下なんだから。」

かなりの分量でしたが読ませる文章で、読了まであっという間でした。
著者は膨大な文献を紐解き、貴重な生き証人を訪ね歩いて本書をまとめたことが伺え、深みのある内容となっていました。
経絡治療の実践者はもちろん、鍼灸学生が読んでも楽しめるものだと思います。

シルバーバーチ最後の啓示/トニーオーツセン

☆☆☆☆

古い霊が伝える真理

量子力学を調べている段階で興味を抱いた分野です。
量子力学、気功、霊などはどこか繋がりを感じさせます。

著者のトニーオーツセンは英国の心霊研究家で、スピリチュアリスト誌の編集に携わっています。
本書は霊媒が伝えた古代霊の講演を記録したものです。

表題のシルバーバーチとは「白樺」という意味の名前を持つ、古い霊的存在だと自称しています。
かつては人として地球に生き、インディアンとしての個性を宿しているようです。
モーリス・バーバネル氏(1902−81)というイギリス人の霊媒を通じて、交霊会で世界の真理を人々に語りかけてきました。
その交霊会は1920年から実に60年もの長きに及び、膨大な記録が残されています。
本書はその最晩年にあたるものを中心に記録していました。

内容は会での質疑応答や霊的な真理、参加者個人へのアドバイスなどが原型に近い形で収められていました。

人間性に問題のある患者は治りにくく、困惑しています」

「それは患者だけでなく、あなたの人間性にも問題があるためです。
治療とは相互作用です。
患者を救うことによって、あなたも救われているのです。
治らないのは、患者が霊的に治癒すべき段階に至っていないからです。
治療家の責任ではありません。
あなたは最善を尽くせばいいのです。」

霊媒との対話、というと荒唐無稽な印象を受けますが、語られる内容はシンプルですが深みがあって胸に響きました。
自由意志を尊重し、全体との調和を目指し、結果ではなく動機を重要視する。
一貫した思想が詩的な言葉で綴られていて、本を閉じた後も余韻となって残りました。
他のシリーズも読んでみたくなるほどに読み応えがありました。

鍼灸老舗の人々/上地 栄

 

☆☆☆☆

関西鍼灸の歴史


明治から昭和にかけての鍼灸の歴史に興味を持って読んだ本です。

著者は鍼灸師の上地 栄(かみち・さかえ)氏(1920−98)です。
本書は、明治期から昭和にかけて活躍した西日本地区の鍼灸師たちの実像をまとめたものです。

上地氏は沖縄で生まれ、中央大学法学部に進学しますが、1943年に学徒出陣のために中退することとなりました。
配属された戦地は故郷の沖縄で、激戦の中を辛うじて生き残り、戦後は左翼活動や新聞記者などを経験しました。
鍼灸への道は68年に年東洋鍼灸専門学校を卒業し、伝統鍼灸の学会に所属しながら臨床や教育にあたってきました。
同時に鍼灸史研究をライフワークとしており、古式の伝統を伝える治療家に教えを請い、古書を蒐集しながら精力的に研究を続けてきました。
それが結実して、85年には経絡治療の黎明期を描いた「昭和鍼灸の歳月」を上梓しました。
同書は主に関東鍼灸界を描いたものであったために、関西以西の鍼灸界の実情も記したいという思いから執筆されたものです。
業界誌「医道の日本」で1990から最晩年の98年まで連載され、加筆修正を加えた本書が2009年に出版されました。
書名の「老舗」とは、関西圏には古くから鍼灸が根付いていた老舗が多かったこと、に由来しています。

本書では次のような7名の老舗が登場し、彼らを軸にしながら当時の世相と鍼灸界を描いていました。

松元 四郎平(シロヘイ)(明治15ー大正15)
鹿児島で活躍した灸治療家。
虚弱体質て、長ずるに伴い徐々に視力を失いました。
治療家になってからは独学で研究を続け、微かに残る視力を振り絞り、虫眼鏡を使って膨大な古書を読み込みました。
日本で初めて「経穴学」の参考書を執筆し、後の治療家に大きな影響を及ぼしました。

藤井秀二(明治17ー昭和56年)
大阪の医師。
家業として小児鍼の伝統を受け継ぐ嫡男として誕生しながらも、医大に進学しました。
しかし医師免許を取得後は家業を引き継ぎ、小児鍼を実践しました。
医師としては鍼灸に科学の光を当て現代医学的鍼灸を啓蒙し、業界の発達に貢献しました。
疳の虫とは小児の過緊張に伴う自律神経の乱れともいえ、成人に行う筋緊張緩和を小児には皮膚への優しい刺激を通じて行なっているように思われました。
その小児鍼の技法は、経絡治療家の井上恵理の散鍼に影響を及ぼしています。

吉田多市(明治4ー昭和12年
大阪の鍼灸師で、視覚障害者。
上京して幕府の医家の生まれだった大久保適斎医師に師事して科学的鍼灸を学び、関西でその鍼法を普及させました。
同時に視覚障害者の救済と自立にも尽力し、鍼灸の教育、点字速記機の発明なども行った多才な人物でした。
「目が見えないことなどちっとも不便なことではない。
昼だろうと夜だろうと電灯もいらないのだから。」

長門谷貫之助(文久3ー大正7年)
大阪の医師、灸療家。
代々続いていた灸治療家の後継者として生まれました。
医学校を出ると家を継ぎ、家伝の灸治療を実践しました。
それは1cmほどの高さの逆円錐形のもぐさを、背中のツボに使う、という治療でした。
背中だけのツボですが、呼吸器、消化器、神経痛と幅広く適応しました。
現代も大阪で2家が「ながとや灸」の道統を伝えているようです。

山本慎吾(明治6ー昭和25年)
大阪の鍼灸師
鍼灸師会のトップを長年務め、専門校を設立するなど、教育や業界の発展に寄与してきました。
自己顕示がゆき過ぎて組織の分裂を招くなどトラブルも産みましたが、信念を曲げない生き方は支持され、関西地方で多くの人に愛されつつ78年の生涯を生きました。

他に辰井文隆、駒井一雄。

膨大な資料を蒐集し、紐解いたことが伺える大作です。
たびたび横道に逸れていましたが、著者の博覧強記ぶりには終始圧倒されました。
「諸兄よ」と語りかけるように綴られていることが印象的で、長い物語でしたが一気に読了しました。