森の書庫

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転生者オンム・セティと古代エジプトの謎/ハニー・エル・ゼイニ

砂漠を吹き抜ける風

 著者のハニー・エル・ゼイニ氏はエジプトの実業家で、本書は古代エジプト巫女だったとする英国人オンム・セティ(セティの母の意味)の数奇な生涯を描いたノンフィクションです。
ハニー氏はオンム女史の友人で、浮世離れして世間のことに関心の薄かったオンムを物心共に支え続け、彼女が秘した日記を譲り受けた人物で、それゆえにオンム氏の内面に深く切り込んだ本書を執筆できたようでした。

 


オンムことドロシーはイギリスで生まれた女性ですが、幼少時代に事故に遭ってから、自身が古代ファラオ時代のエジプトで巫女だったという記憶を持つようになります。
そのためにイギリスでは考古学者の非公式の助手として付き従い、少女ながら驚異的な読解力でエジプト神聖文字ヒエログリフの解読にあたります。
そしてエジプトの地を踏みたいという夢を抱きながら雌伏してその時を待っていました。

そしてエジプト人男性と縁があって結ばれ、ついにその地にたどり着きます。
しかし彼女は念願の地でも異邦人のままでした。
浮世離れして家庭生活には興味が無く、ピラミッドを訪ね、神殿を裸足で歩き、ヒエログリフを読む妻に、「現代」エジプト人は全くついていくことができません。
しかも彼女の元にはエジプト時代の恋人だったファラオ「セティ1世」の幽霊が夜毎訪れ、ロマンスを繰り広げていたのです。
結婚生活の破局まで長くはかかりませんでした。
離婚後、オンムは前世時代にセティ1世と過ごしたアビドスに引越し、考古学の仕事を手伝いながらセティ1世の神殿の維持・管理に心を砕きます。
しかし正直で直情的、そして子供っぽい性格が共存する彼女はエキセントリックで、犬やネコ、更にはコブラやネズミたちと屋根のない家に住み暮らしても平気で、心配する周囲の友人達をやきもきさせます。
そして最期の瞬間まで、最愛のファラオとの愛に満ちた交歓と古代エジプトへの渇望にも似た探求は続き、万感の思いを込めてその破天荒の生の幕は下りました。

本書は自身の過去世を知る女性が、その過去の夢を現世で追い続けた生涯を追ったものです。
過去世などというとフィクションのようなものを想像していたのですが、伏線を巧みに張り、後の波乱を暗示しながら進むストーリーに本を閉じることができず、気が付くと夜が更けるのも忘れて一気に読んでしまいました。
日本語の翻訳も巧みで、外国文特有のノイズを全く感じさせないばかりか、文章自体に力があって引き込まれました。
そして訳者あとがきを読んだ後は、砂漠に吹く風を感じさせるような深い余韻に包まれました。

もう一点、個人的に興味を引いたのがエジプト魔術について言及していたことです。
古代エジプトでは原初のエッセンスを色濃く残した魔術の伝承があり、オンムはヒエログリフや恋人だったファラオの霊を通じてその一端を学んだようです。
実際にトラブルの時に使っていたらしく、心からの願いは叶い、不用意に呪ってしまった加害者は死に抱きすくめられ、コブラやサソリも彼女を害することはありませんでした。
本書で詳細は記されていませんでしたが、この世界を貫く豊穣なエネルギーは特別な言葉や歌、図形を通じて器たる術者に力を呼び込むことができるとしていました。

転生を扱った本書は、当初は奇を衒ったようなものだと考えて軽く手に取ったのですが、これは嬉しい誤算でした。
読み応えのある物語です。