神はいずこに: キリスト教における悟りとその超越 /バーナデット ロバーツ
無限を旅するための地図
著者のバーナデット・ロバーツはカトリック家庭に育ち、幼い頃からキリスト教的な世界観を身近に感じてきました。
思春期の10年を修道会で過ごし、後に還俗して大学進学、結婚と子育てを経て、現在は一介の主婦として生活します。
本書は彼女が幼少期から長い時間をかけて深めてきた観想により、深淵の深みに立った経験を段階を追いながら説明したものです。
観想や瞑想は「心を沈めて己を見つめる」という作業で、世界のほとんどの文化圏で見られます。
心を静めた後に見る深淵な世界については多くの賢人や聖者が著していますが、本書はキリスト教を背景に持つ実践者が語った興味深いものでした。
心を静めようとする時に立ちはだかるのが、頭の中のおしゃべりです。
祈りや呼吸に注意を向けると静けさに至り、心の奥の「小さな声」が聞こえるようになります。
思春期の10年を修道会で過ごし、後に還俗して大学進学、結婚と子育てを経て、現在は一介の主婦として生活します。
本書は彼女が幼少期から長い時間をかけて深めてきた観想により、深淵の深みに立った経験を段階を追いながら説明したものです。
観想や瞑想は「心を沈めて己を見つめる」という作業で、世界のほとんどの文化圏で見られます。
心を静めた後に見る深淵な世界については多くの賢人や聖者が著していますが、本書はキリスト教を背景に持つ実践者が語った興味深いものでした。
心を静めようとする時に立ちはだかるのが、頭の中のおしゃべりです。
祈りや呼吸に注意を向けると静けさに至り、心の奥の「小さな声」が聞こえるようになります。
すると至福と充実感を感じて、ちょっとだけ悟った気分になります。
その静けさを更に見つめていくと、やがてこの世界が「幻想」だと知るようになります。
しかし世界から幻想性を取り払ってしまうと、実体である無限の荒野の中の絶対的な孤独、虚無といわれる絶望的な世界と対峙することになります。
この絶望を直接「見る」ことは精神が崩壊するようなリスクがあり、これを避けるために先人たちは夢を介して接触する「夢見」や心を鍛える「忍び寄り」といった様々な工夫を行なってきました。
著者のバーナデット氏が取ったのは「愛」を使ったものです。
愛といっても男女間や親子間にある情緒的なものではなく、聖書の「ヨブ記」が象徴するような厳しく、冷酷で、苦痛を伴うものです。
たとえ相手に恨まれようと、愛着や依存を絶ち切るような奉仕を完全無私の精神で行なうこと。
自身が最良だと思っているものを差し出し、拒まれても、裏切られても与え続けること。
この愛を表現し続けることで自我の表層が破壊され、その内にある「真我と神が同一」であることを理解して、虚無に対する抵抗力を得ることができます。
しかし本書の白眉はその先にある神と一体化した「真我」をも完全に消し去り、「神だけで生きる」段階に進み、その間に起こった経験を詳細に書き残していることです。
それは【 常に完璧な静寂の中にあり、日常生活のあらゆるものの中に神を見ること 】だとしていました。
ざっと書くとこうした内容でしたが、中々読み進めることができませんでした。
まず読むことにかなりの集中を強いられ、無理して読んでいると目が疲れて眠くなってしまうのです。
私は活字中毒で通常かなり速いペースで本を読むのですが、本書は読了まで2週間近くを費やしても内容が頭にあまり残りませんでした。
むしろ「訳者あとがき」の方がすんなりと読めたことが不思議な気がしました。
それでも本書はこのような世界を探求する人にとっては稀有な地図となってくれるもので、読み応えがあると思います。
著者には前著があるようなので、そちらを読んだ後、改めて読み返してみるつもりです。
その静けさを更に見つめていくと、やがてこの世界が「幻想」だと知るようになります。
しかし世界から幻想性を取り払ってしまうと、実体である無限の荒野の中の絶対的な孤独、虚無といわれる絶望的な世界と対峙することになります。
この絶望を直接「見る」ことは精神が崩壊するようなリスクがあり、これを避けるために先人たちは夢を介して接触する「夢見」や心を鍛える「忍び寄り」といった様々な工夫を行なってきました。
著者のバーナデット氏が取ったのは「愛」を使ったものです。
愛といっても男女間や親子間にある情緒的なものではなく、聖書の「ヨブ記」が象徴するような厳しく、冷酷で、苦痛を伴うものです。
たとえ相手に恨まれようと、愛着や依存を絶ち切るような奉仕を完全無私の精神で行なうこと。
自身が最良だと思っているものを差し出し、拒まれても、裏切られても与え続けること。
この愛を表現し続けることで自我の表層が破壊され、その内にある「真我と神が同一」であることを理解して、虚無に対する抵抗力を得ることができます。
しかし本書の白眉はその先にある神と一体化した「真我」をも完全に消し去り、「神だけで生きる」段階に進み、その間に起こった経験を詳細に書き残していることです。
それは【 常に完璧な静寂の中にあり、日常生活のあらゆるものの中に神を見ること 】だとしていました。
ざっと書くとこうした内容でしたが、中々読み進めることができませんでした。
まず読むことにかなりの集中を強いられ、無理して読んでいると目が疲れて眠くなってしまうのです。
私は活字中毒で通常かなり速いペースで本を読むのですが、本書は読了まで2週間近くを費やしても内容が頭にあまり残りませんでした。
むしろ「訳者あとがき」の方がすんなりと読めたことが不思議な気がしました。
それでも本書はこのような世界を探求する人にとっては稀有な地図となってくれるもので、読み応えがあると思います。
著者には前著があるようなので、そちらを読んだ後、改めて読み返してみるつもりです。